染めない生活

52歳で毛染めを止めました。

自分の想像力でも扱いにくいことがある

願いをかなえたければ、願いがかなった場面をありありと思い描く。

そうすれば自律神経系が働いて、願いが実現するのだそうです。

 

こう書けば簡単ですが、実際に行うとなるとそう簡単にはいきません。

リアルに思い描こうにも材料が不足していることもあるし、雑念が浮かんで集中できないこともあります。

しかも、自分の想像力なのに扱いにくかったりもします。

 

汽車に我が子を乗せる所を見た

 

作家・劇作家の本谷有希子さんは、家の近所の公園の中を走る、小さな蒸気機関車を始めて見た時、我が子を汽車に乗せて手を振る自分の姿がありありと浮かんだそうです。

 

その当時20代で、つきあっていた人とは結婚しないだろうと思っていた、つまり結婚も出産も予定はまったくなかったにもかかわらず。

 

そして実際にその後、娘を連れてその公園に行って汽車に乗せたのだそうです。

すごいですねえ。

 

でもおもしろいのが、「ああ願いがなかってよかった」ではなく、「自分の執念に敗北したと思わずにはいられなかった」と書いていることです。

 

毎度必ず、これを手に入れるのだという確信に近い欲望が腹底に芽生え、そうなれば実現させるだろう、という自分への諦めのような気持が、対になって生まれるのである。

 

自分の執念のすさまじさを誰よりも理解しているのだそうで、引っ張られてついて行っているような感じがあるのでしょうか。

 

想像力を使って願いをかなえることは、簡単で楽しいことばかりではないのかもしれません。

思いがかなう裏には、執念とか集中とか執着とか、もっと粘りのあるものが関係していて、うっかり目指すべきものを間違えるととんでもない結果になってしまうことも考えられます。

 

そう言えば

 

わが身を振り返ると、まるで現実であるかのように場面が想像できたことが一度だけありました。

かなりしょぼい話なのですが、子どもが幼稚園に行っていたときの役員決めの話です。

 

その年、候補者がすごく少ないクラスで、どう考えても自分が当たる可能性大でした。

やりたくないけど、逃げる方法もないし。

 

夜な夜なそのことを考えているうち、前日の夜、役員決めのその場で手を上げている自分の姿が見えたのです。

実際のことではないかと思うほどにリアルな映像でした。

何か頭の中かどこかのスイッチが入ったように感じました。

 

で、結果はというと、想像した通り、手を上げ(立候補)ました。

いえ、あれは単に逃げられないから諦めて立候補しただけ(と思う)。

別にリアルな想像をしたためそうなったわけではありません(と思う)。

役員になりたいという気持ちは全くと言っていいほどありませんでしたし。

 

が、それ以来、リアルに想像することに多少の不安を感じるようにもなったのは事実です。

自分の想像力だからといって、いつもいいことを想像できるとは限りませんし、暴走する可能性もないとは言えないですしね。

 

想像力を使うときは、何を想像するのかについて意識的であったほうがいいようです。